3月
27
2007
石川の地震
Author: Nao-t★ すでに多くの報道でご存知ない方は居ないと思うが、Nao-t氏の郷里、石川県で震度 6弱の大地震が発生した。
地震が発生した日曜日の朝。
実は、自宅で休みの日まで仕事をする前に、息抜きとして溜まりに溜まったデジカメ画像を整理すべくパソコンに向かっていた Nao-t氏であったが、なぜか船に揺られているような変な感覚になっていた。
3月
27
2007
★ すでに多くの報道でご存知ない方は居ないと思うが、Nao-t氏の郷里、石川県で震度 6弱の大地震が発生した。
地震が発生した日曜日の朝。
実は、自宅で休みの日まで仕事をする前に、息抜きとして溜まりに溜まったデジカメ画像を整理すべくパソコンに向かっていた Nao-t氏であったが、なぜか船に揺られているような変な感覚になっていた。
12月
11
2004
★今回の更新で、晴れて「ゴールド」になるということもあって意気揚々と門真の教習所に出掛けたNao-t氏であったが、順調に手続きも終って最後の「写真撮影」というときまで、己の無残な姿をうかがい知ることは無かった。
今から3年前の自分はやつれていて如何にも病弱な感じがして嫌だったのだが、今回出来上がった免許証を見るとまるで別人の顔写真がそこに飾られていたのだ!
悲しいことに、この醜い顔と5年間も付き合わなきゃならんという現実に、半分嬉しくない帰宅の途となった。
見るも無残な変わり様
6月
10
2004
★子供のころは必ずといって良いほど、一週間の内に4?5回はお目に掛かっていたのが「しばらくお待ちください。」というテロップである。
深夜に何となく見ていたテレビで、Nao-t氏は久しぶりに出くわしたのだ!
このIT時代に、機械化されたシステムが結局は人の手によってでしか直すことが出来ない、という現実を突き付けられるような恐ろしい光景なのである。
しかし、一瞬の静寂が妙に心地よかった。

久しぶりに見たテロップ
でも、紙に書いたようなモノではなかった
2月
16
2004
★日曜日に映画に出掛け、その後は何事もなく普通に帰宅したNao-t氏であったが、うがいをしようと洗面所の蛇口をひねったその時だった。
「み・・・水が出ない!」
時刻は午後11時を回っていた。昼間に見た映画の感動などどこかへ消えてしまい、大屋である不動産屋に「戦(いくさ)」を仕掛ける段取りを考えたりしていた。
思えば、マンションの各戸へ水を送るポンプらしきものから異様な物音が聞こえていたので、とうとう故障したらしい。
しかし、事務所にも担当者の携帯にも電話してみたが一向に出る気配は無し。仕方が無いので翌朝に問い合わせてみたら、「マンション全体で止まっています。既に担当の者が現場に向かっております。今日中には直りますので。」とこちらの腹立たしさを知っているかのように先制攻撃を仕掛けてきた。
しかし、「修復した」という連絡は一切無かった。ヒドイ不動産屋である。

カラッカラに渇いた水道栓
6月
21
2003
★土曜日に仕事を終えて天満駅に向かおうと職場がある建物を出たら、何とルンペンのおっさん達が建物の周りをダァ?と囲んで座っているのだ!
何か企画会議でもあるのか、酒盛りするような気配は無く、ただ集まってきているようなのだ。
Nao-t氏はシャッターを押そうにも、その異様な光景にオノノイテしまって遠くから撮ったそうだ。

とても異様で近付けないのだ
4月
16
2003
★今日16日は、北村成美の舞台の中日(なかび)で、公演はお休みになっている。本当の理由は、東山の青少年会館が休館日だからなのだが。
しかし、Nao-t氏は身体を休めることなく、阿倍野の事務所に仕事に出掛けた。しかし、町は何となく騒々しい。オマケに事務所でそわそわしていた専務によると、「昨日このビルの近くで殺人事件が起きたんですよ。」と、驚愕の事実を聞かされた!
深夜の出来事のため、昼間は問題ない(と思いたい)のだが、妙に駅までの道のりが遠く感じてしまった一日だった。
案の定、この日は早めに解散した。

テレビ局が来てました。
4月
13
2003
★昨夜の通夜に引き続き、告別式の日を迎えた。先生の穏やか過ぎる眠り顔とも、この日を境に見ることは出来なくなる。
準備や司会など大役を任せてもらったNao-t氏であるが、その忙しさゆえに悲しみはどこかへ飛んでいたのだが、先輩たちの奏でるレクイエムに込められたメッセージを直に受け、いつの間にか涙がとめどなく溢れていた。
日ごろから先輩たちの演奏は耳にしていたが、あれほど強く訴えかけてくるものは初めて聴いた。まるで「先生、起きてぇや!」という叫び声が、魂のレベルに素直に共鳴した一瞬だった。

会場の外も悲しい灰色に
4月
12
2003
★誠に残念な出来事が訪れてしまった。
実は、先日10日にNao-t氏が通っていたドラムスクールの先生が他界された。享年68歳。
京都での舞台音響の仕事のため、先生の死に目に会うことが出来なかったのだが、あまり練習していなかった報いだと思っている。
先生を送るに相応しい「音楽葬」を執り行うことになり、Nao-t氏はせめてものご恩返しにと、葬儀の準備にいそしんだ。いや、悲しさを忘れようとしていたのかも知れない。
喪主である奥さんからの依頼で音楽葬の司会役を命じられたのだが、何とも名誉ある大役である。それだけで十分ありがたいことであった。

音楽葬へ向けたリハ風景
9月
11
2001
★マイラインがどうしたなどと浮かれている場合ではない。
Nao-t氏がドラムレッスンに通っていた日、いつものようにレッスン後に先生のお宅で戯れていた時である。「うわっ、何やこれは!」と先生の声に反応して、すかさずTV画面の前に他の生徒さん達と一緒に見入ってしまった。
すでに各報道機関から見聞きしてご存知だと思われるが、極めて平和な国に住んでいる者にとって、「これは映画だ」「よ?出来たCGやなぁ」と思っていたのも束の間、これが目の前で起こったとしたら本当に何も口にする言葉が出て来なかっただろう。
Nao-t氏は「米の国の出方によっては戦争が起こるのは止むを得ないが、情報を予め察知していたのなら、何か手立てはあったのではないか?あえて戦争をする“正当な理由”を作るためにそのまま成すがままにしたのではないか?」と、疑問がアタマをよぎったそうだ。